■裁判の経過
現在までの裁判の経過です。
2001年
7月16日 海南島戦時性暴力被害訴訟――原告8名が東京地裁へ提訴
被害者の方の「潔白を晴らしてほしい」という意見を尊重し、これまでの戦時性暴力訴訟と異なり、戦後に日本政府が名誉回復のための措置を取らなかったことに対する不作為を訴える。損害賠償と新聞への謝罪広告掲載を請求する。
11月28日 第1回弁論が開始される。
原告のBさんが来日、意見陳述を行ない、東京と埼玉にて、証言集会を開催する。
2003年
12月6日
原告の
Aさん来日、東京にて証言集会を開催する。
12月
原告のDさんが、永眠される。
2004年
2月19日 原告の意思を受けて訴因を変更
戦後だけでなく、戦時中の日本軍の加害行為そのものの責任も追及するため、訴因の変更を行う。戦時性暴力の被害そのものを問う裁判になる。
9月
原告のEさんが、永眠される。
2005年
2月16日 第8回弁論 ハイナンNET発足!
裁判後の報告集会で、3月の本人来日に向けて、都内の学生を中心に裁判の支援団体を結成する。
3月16日 第9回弁論 原告の林亜金さん、海南島調査をしている張応勇さん証人尋問
3時間に及ぶ証人尋問が行われる。80歳を過ぎた高齢の被害女性の渾身の証言を聞き、現在まで全く責任をとろうとしない政府に対して怒りを新たにする。
同日、裁判後に法政大学にて証言集会を開催。
4月 担当裁判官が突然交代される
裁判官の配置換えが行われ、3月に行なわれた被害証言を聞いていた裁判官が二人いなくなってしまう。逆に被害証言を文書で目を通しただけの裁判官が、判決を書いて審理を行なう事態に。関係者は皆、驚きと怒りでいっぱいになる。
6月15日 第10回弁論 裁判官交代後、初めての弁論
4月の人事異動で配属された新しい裁判官が、弁論中に居眠りをする。
7月20日 第11回弁論 原告と海南島を研究している学者証人の申請
裁判官の意識を変える必要があるため、新しく原告で被害者の女性と、海南島の調査をしている学者のキムチョンミさんの証人申請を行う。証人が採用されるかどうかは9月に決定されることに。
8月〜9月 新たな証人尋問を実現させるための運動が始まる。
証人採用を要請するための裁判官宛てのハガキやFAXを大勢の方に頼んだり、裁判所
前でチラシ撒きをしたりなど、裁判官へ積極的に働きかけるための活動を行う。
9月28日 第12回弁論 証人申請について、裁判官が判断
裁判官は証人申請を行なわないつもりだったようだ。しかし、大量に集まったハガキ・FAXに加え、原告弁護団による裁判のあり方に対する批判、そして満席に埋まった傍聴席にうろたえ(!?) 証人が採用されるかどうかの判断は次回へ持ち越されることとなる。
11月9日 第13回弁論 証人採用決定!
原告側が要請していた証人二人のうち、原告の証人申請が認められる。しかし、学者の証人申請は認められず。これからが正念場。
12月 2005年3月に証人として来日された張応勇さん亡くなる
2006年
2月19日(日) ハイナンNETセミナー
2月25日(土)〜3月2日(木)
海南島スタディツアー実施
3月8日(水) 証人尋問/第14回弁論
3月22日(水) 結審/第15回弁論
7月9日(日) ハイナンNETセミナー
14時〜 @中野総合法律事務所
8月30日(水) 判決&報告集会
不当判決が下されました。裁判所は被害事実を認めておきながら「国家無答責」と「除斥」の法理で不当にも原告たちの訴えを斥けています。
→詳しくはこちら
・判決要旨 →こちら
・原告陳亜扁さんのコメント →こちら
・弁護団声明 →こちら
・共同声明 →こちら
2007年
5月 高裁第一回弁論
9月25日 高裁第二回弁論
報告はこちらこちら
10月18日 高裁第三回弁論
報告はこちら
2008年
1月15日 高裁第4回弁論 本人尋問
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