海南NET

■裁判の経過
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008

■裁判資料

■メンバーによる裁判報告

2005年3月15日 第9回弁論
「原告来日、その証言に触れて」
2005年6月15日 第10回弁論
「居眠り裁判官に募る危機感」
2005年7月20日 第11回弁論
「もう一度、証人採用を求めて」
2005年9月28日 第12回弁論
「証人採用決定、のはずが……?」
2005年11月9日 第13回弁論
「証人採用決定! しかし……」

■初めて参加した方の感想

■これまでの裁判と法知識


■2005年3月16日 第9回弁論 「原告来日、その証言に触れて」

 「海南島戦時性暴力被害訴訟」第一審が2005年3月16日(水)、東京地方裁判所大法廷103号法廷で行われました。
 裁判の準備の期間から当日の裁判及び証言集会の様子まで、林さんと私たちの行動を報告します。


林さん来日

 被害者であり、原告のひとりでもいらっしゃる林亜金(リン・ヤーチン)さんは、裁判4日前の3月12日に来日されました。早めの来日をされたのは、裁判の準備に時間がかかるだろうと予想されたからです。

 林さんは海南島の黎族という少数民族出身です。そのため、林さんの証言は、二人の通訳を通して伝えられます。まず、林さんの言葉を中国語(北京語)にして、それから日本語にするという作業が必要なのです。
 それは、ひとつの証言を行なうことに長い時間をかけなくてはならないことを意味します。80歳を越える高齢の林さんの、体力的な面での負担が心配されることでした。

 その上、林さんは来日前、「日本人には会いたくもないし話したくもない」と仰られていました。そんな林さんが日本に来て法廷に立つ事を決意することは、並大抵の覚悟ではなかったでしょう。


本人尋問の準備

 私たちハイナンNETは、裁判準備期間の本人尋問リハーサルの時に、初めて林さんとお会いすることできました。
 初めて対面する「慰安婦」の方を前に、緊張を感じる私たち。一方の林さんも緊張した様子で、リハーサルを前に、自分からは喋ろうとはしませんでした。

 リハーサルが開始されると、林さんの受けた性暴力の証言が、ゆっくりとした口調と共に語られ始めます。
 日本軍にどこに連れて行かれたのか。
 日本軍からどのようなことをされたのか。
 つらい問いに対して、林さんは一つ一つゆっくりと答えていかれました。

 林さんは、ご自身の「運命」を嘆かれます。日本兵から運良く逃れ、ご家族には温かく迎えられたものの、ご自身が「慰安婦」になったことでご家族に迷惑をかけてしまったと、悔やまれるのです。
 また、日本の敗戦後に結婚した夫は、逮捕されて亡くなりました。
 その事から、自身を他人に不幸をもたらす「不幸の女」と思われ、もう結婚はしないと決意したと言います。ご家族も亡くなられた今は、「昨日あった事」のように思い起こされる暴力の記憶に、独りで耐えていらっしゃる日々。

 私たちは、林さんの証言に立ち会いながら、長く、重い時間を過ごしました。実際、二人の通訳を通していたため、物理的にも長い時間だったのです。
 それは、林さんが暴力の――彼女にとっては「昨日」のように思える――記憶の中で生きてきたことを示す、長さであり、重みでした。


東京地方裁判所へ

 3月16日、この日の裁判には、二人の証言者が法廷に立たれました。一人目は、海南島における戦時性暴力被害の研究に携わってこられた張応勇さん。そして、二人目が林さんです。

林さん(右側)と張さん、地裁の前にて (左側が張応勇さん、右側が林亜金さん)

 裁判は午前10時から午後4時までの長丁場となりました。
 まず、張応勇さんが 海南島での戦時性暴力の被害事実や、「戦後」の被害者たちの生活について証言されました。  海南島には、林亜金さんをはじめ、多くの被害女性がいること。
 そのほとんどが、詐欺や強制連行で性奴隷にされたこと。
 また、「戦後」も日本軍に「協力」したとして、差別にあっていること。
 それらの事実を、海南島での聞き取り調査に基づいて、お話しされました。

 林さんは杉浦弁護士の質問に答えるかたちで、ご自身が受けた被害を証言されました。
 林さんは16、17歳で農作業をしていた時、突然やって来た日本軍に拉致され性奴隷にされ、海南島の「慰安所」を転々とさせられたと言います。そのときに日本軍に傷つけられた足の刀傷と、顔に押しつけられたタバコの火傷跡を、裁判官に見せながらの訴えでした。

 杉浦弁護士は、林さんの被害事実だけでなく、被害を受ける以前の生活についても質問されました。
 「姉妹とはどんな会話をしていたんですか?」
 「好きな男の子はいたんですか?」
 林さんは時折笑みをこぼしながら、子ども時代の思い出を語ってくださいました。

 日本軍が一人の少女に対して行った暴力について、日本政府は責任逃れをしたままの状態にあります。「悪い」と認めるなら、謝るのは当然のことです。しかし、それさえせず、サバイバーの女性を今もなお侮辱し続けています。こんなことをいつまでも許していて良いのでしょうか。

 少しでも早く裁判所に良い判決を出させるためにも、ひとりでも多くの人たちとつながり、行動を起こしていく必要を感じました。


証言集会

 裁判後の証言集会は、法政大学で開かれました。
 集会は二部構成で、最初にハイナンNETのメンバーから、海南島の地理と日本軍侵略の歴史を説明、その後に林さんと張さんから証言をして頂くというものでした。

 前半の説明では、事前の資料作りに苦心しました。準備を通して感じたのは、海南島のことを人に伝えるには、まだまだ勉強不足だということでした。これからも学び続けていく必要性を実感しました。

 後半の林亜金さんと張応勇さんの証言では、裁判への意気込みと日本の学生へのメッセージなどが語られました。林さんは強い口調で、「自分は死ぬまであきらめず闘う」と仰られました。そして、裁判所に勝訴判決を出させるためにも、声をあげてほしいと語られました。

 同じ日に二回目となる証言であり、林さんの体調が心配されたスケジュールでした。しかし、証言が終わった後、花束と、会場の人が一人ずつビーズを通して作ったネックレスを贈られると、林さんは会場に向かい手を上げて笑いかけてくださいました。

歓迎会にてほころんだお顔の林さん


林さんの帰国に際して

 通常の時間に生きていれば、何十年も前の出来事としてしか存在していないはずの、林さんの過去の記憶。けれども、暴力の傷跡は、林さんに当時の記憶を「昨日あった事」として想起させています。日々、「昨日」の事のように暴力の記憶に苦しまなければならない孤独は、どれほどのものでしょう?

 もし、裁判や林さんの証言を通じて、多くの人が彼女の「昨日」の苦しみを想起できるようになったならば、彼女は独りではなくなるのではないでしょうか。今回の来日に際して行なわれた記憶の共有が、彼女の希望の一助になるならば、それより嬉しい事はありません。

 これからも私たちは、林さんの−−そして、他の多くの「独り」で闘っている「慰安婦」達の−−希望を、色々な人と共に考えていきたいと思います。

海南島帰国前の林さん(真中)



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